ハーバート・リンカーン・クラーク Herbert L. Clarke 1867-1945
- 1867年9月12日
- マサチューセッツ州ウォバーンに生まれる。
父親は音楽家で、主としてオルガン奏者、作曲家として活躍していた。
5人兄弟のうち、ウィル、エドウィン、アーネストも音楽に優れた才能を示し、エドウィンとアーネストはそれぞれコルネットとトロンボーンを演奏し
プロ並みの腕前を持っていた。
- 13歳
- まずヴァイオリンで音楽を学んだクラークはトロント・フィルハーモニック・ソサエティー・オーケストラで第2ヴァイオリンを担当した。
- 1881年
- D.W.Reeves指揮のThe American Band of Providenceの演奏を聴いたクラークは後で「たった今聞いたコルネットのソロイストにすごく感動した。コルネットを吹きたい。」
そういってコルネットの演奏を始める。
- 1884年6月
- クラークがハイスクールを卒業しインディアナポリスに一家が引っ越す。
ここでコルネット奏者として活躍していたウォルター・ロジャーズと知りあいになり。その後の音楽活動をともに行うようにもなった。
- 1886年10月10日
- オフシーズンでホエン・クロージング・ストアー・バンドで演奏していたクラークは、この日行われていたコンテストに参加し。
午後に行われたソロ・コンテストにも参加した。レヴィーの「旋風ポルカ」を吹き、このコンテストで優勝し、賞品としてヘンリー・ディスティン作のミニ・コルネットを手に入れる。
翌シーズンにはヴィオラを担当していたオーケストラを解雇され職を失う。
- 1892年9月
- ギルモアがなくなるまでの間、
数ヶ月間パトリック・ギルモア・バンドにてベン・ベントの次のコルネット奏者としてツアーを行う。
ニューヨークへ帰ったクラークを友人のウォルター・ロジャーズが助け、フリー契約を確保してくれる。
- 1893年
- ジョン・フィリップ・スーザのバンドへコルネット奏者としての誘いがくる。
1902年までソロイストとして活躍した。
このバンドは、それほど裕福ではなかったので、フレデリック・インズのバンドや、ヴィクター・ハーバートの率いるギルモア・バンド(1893−98年)でも時々演奏した。
- 1898年12月
- ニューヨーク・フィルハーモニックの第2トランペット奏者(コルネット兼)となる。
次のシーズン初めにはメトロポリタン・オペラの首席トランペットとして短い契約をしている。
- 1904年
- 再びスーザ・バンドに入りバンドに1917年までいた。
- 1906-07年
- 横隔膜呼吸法を開発。
- 1909年
- 「Elementary Studies for Cornet」を書く。
- 1912年
- 今日でも、有名な教則本「Technical Studies for Cornet」を書く。
- 1913-15年
- コーン社のテスターとなる。
- 1916年
- ホルトン社とともに中太管のコルネットHolton-Clarkモデルを開発。1917−18年まで契約。
- 1918-23年
- オンタリオ州ハンツヴィルでバンド・マスターになる。
- 1921年
- 兄弟のアーネストをニューヨークに訪ねたとき、最後の商用録音を行った。
- 1923年10月
- ロング・ビーチ市当局からロング・ビーチ市民バンドの指揮の要請があり、これを受け入れる。1943年までこのバンドを指揮した。
その後、2年間にわたって健康が衰える。
- 1945年1月30日
- ロング・ビーチで亡くなる。
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